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篤姫の生まれ故郷鹿児島を紹介します。

篤姫の生い立ち

篤姫は天保6年(1835)、島津家の分家のひとつ今和泉島津家に生まれ、嘉永6年(1853)島津家当主・斉彬の養女から、江戸幕府の第13代将軍・徳川家定の正室となりました。

嫁いでから約1年半後、病弱だった家定が亡くなり、篤姫はわずか23歳で落飾して「天璋院」と号しました。


生誕の地・鹿児島

篤姫が生まれた今和泉島津家の本邸は、鹿児島城下の北側、現在通称上町(かんまち)と呼ばれるあたりにありました。

この本宅のほかに城下に4箇所の屋敷があり、篤姫は鹿児島での時間の多くを海辺にあった浜屋敷で過ごしたと考えられています。


ゆかりの地・指宿

鹿児島城下から南に40キロ(列車で約50分)、現在の指宿市北部に今和泉郷はあります。

延享元年(1744)、島津家22代当主継豊の弟である忠郷により今和泉島津家が再興され、この地の領主となりました。

このため今和泉島津家ゆかりの史跡が数多く点在しています。


篤姫館・開館中

鹿児島県には、現在2つの「篤姫館」が開館しています。

ひとつは、鹿児島市のドルフィンポート内の篤姫館。

もうひとつは、指宿市ふれあいプラザなのはな館内の、「指宿篤姫館」いずれも多くの人が訪れて賑わっています。


  • 鶴丸城跡・黎明館

    薩摩藩主が代々暮らしていた鶴丸城。
    篤姫もおよそ2ヶ月間暮らしていたとか。

  • いぶすき篤姫館

    指宿の新名所 いぶすき篤姫館

  • 篤姫館

    大河ドラマの世界にどっぷりつかってみては?

幕末のファーストレディ

篤姫は、第13代将軍・徳川家定の正室となった幕末のファーストレディです。

幕末の動乱期、徳川宗家のために、そして日本に尽くしました。

平成二十年1月から十二月まで、NHK大河ドラマにとりあげられ、現在でも放送中ですので、知ってらっしゃる方も多いのでは?

物語の冒頭は篤姫生誕の地、鹿児島からはじまります。

激動の時代を生きたファーストレディ篤姫の足跡をたどる旅をご紹介します。


心のふるさと いぶすきの風

於一が今、伝える 指宿篤姫館

入園料大人400円

場所:ふれあいプラザなのはな館内(指宿市東方9300-1)

篤姫の精神風土を育んだ原点・いぶすき温泉を利用した健康増進施設・ふれあいプラザなのはな館内に開設されています。


ようこそ2008大河ドラマの世界へ!

鹿児島篤姫館

入園料 大人500円

場所:ドルフィンポート内(鹿児島市本港新町5番4号)

「天璋院篤姫」の生まれたまち 鹿児島市桜島をのぞむウォーターフロントに位置する複合施設ドルフィンポート内に開設されています。



島津斉彬ゆかりの地を巡る

島津斉彬は文化6年(1809年)第二十七代党首島津斉興の長男として江戸で誕生しました。

つまり、養女の篤姫とは実際のところ、いとこの関係にあたります。

蘭癖といわれた曾祖父の影響を受け、海外の情報や文化に精通、藩主に就任するのは嘉永4年(1851年)の四十二歳と、当時としては遅いほうでしたが、鋳砲、造船、ガラス製造、紡績、出版など、多岐にわたる数々の事業である「集成館事業」を展開しました。

篤姫の婚礼には心を砕き、婚礼道具はすべて新潮させるなどの徹底ぶりだったそう。その一つとされる薩摩切子は、斉彬によって研究開発されたものだそうです。

鹿児島市の仙厳園は、島津斉彬によって反射炉が築かれるなど、近代産業発祥の地。桜島を取り囲んだ借景庭園は国の名勝に指定されています。

尚古集成館では、特に幕末の薩摩藩が果たした役割について、島津家の歴史、海外とのかかわりなどさまざまな視点からわかりやすく学ぶことができます。

本館の建物は慶応元年(1865年)に建てられた機械工場で重要文化財。大正12年(1923年)に博物館として利用されはじめました。


尚古集成館

近代日本のあゆんだ道


維新ふるさと館

明治維新のふるさと、鹿児島

同じ時代を生きた英雄 西郷隆盛

篤姫と西郷隆盛の共通点、それはふたりとも島津斉彬という当時の薩摩藩主に見出され、それぞれに激動の時代のなか、活躍したことではないだろうか。

文政12年(1827年)鹿児島城下の加治屋町に生まれ、下級武士として育つが、安政元年(1854年)藩主島津斉彬に取り立てられ庭方役など側近として活躍します。

篤姫婚礼前後には、将軍継嗣問題に関連して大奥工作に携わるが、主君である斉彬の死や安政の大獄によって、一時期政局から離れることになりました。

その後の戊辰戦争で、西郷は群を率いて江戸城に攻め上ります。大奥を束ねていた篤姫と敵対することになりましたが、篤姫は嫁いだ以上は徳川家の人間になったとして、江戸城を出ようとはしませんでした。

西郷は勝海舟との会談の末、江戸城の総攻撃を中止し、無血開場されることになりました。

斉彬を中心にして結びついた二人が、再び江戸において接点を持つことになったのです。

そんな波乱の幕末の資料を集めた記念館が「維新ふるさと館」です。

幕末から明治にかけて活躍した人物を多く輩出したのは鹿児島城下の外れ、下加治屋町。

幕末の様子がわかる展示や、活躍した人々について知ることができる。館自体が加治屋町に市しているので、ここで学んだあと西郷隆盛をはじめとする人物の誕生地を直接訪問されてはいかがだろうか。

鹿児島中央駅からシティビュー城山・磯コースで3分「維新ふるさと館前」下車すぐ。



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